BL21DE3のブログ

誰に向けた訳でもない自分の備忘録と勉強の軌跡

ワクチンと著作権とCRISPRと

Twitterで面白いツイートを見かけた。

灯爺とろおち on Twitter: "『ワクチンでDNAが変わってしまう』←わからないけどまぁ言わんとすることはわかる、わからないけど 『ワクチンでDNAが変わるとその人自身が製薬会社の著作物になる』←ディストピア系SFに一石を投じる天才的な発想。この設定で映画一本作れる。"

巷で話題のRNAワクチンを接種した人のゲノムDNAが変化することはないし、変わったとしてそこに著作権が生じることはあり得ないのだが、話題をDNA配列と知財の関係性に置き換えて少し考えてみる。

まず、知財といえば著作権の他に特許だとか商標だとかもある。そして特許についてはDNA配列が登録されることは山ほどあって、例えば下のリンクにある名古屋大学のグループによる申請がある。

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN

この例もそうだが、例えば何かの病気の診断目的で行われるPCR法を開発した場合は、用いられるプライマーやプローブの配列が特許の一部を構成する。また、ちゃんと調べてないので断定はしないが、例のRNAワクチンもおそらくその配列が特許の一部として登録されているものと思われる。もちろん人のゲノムDNA自体が誰かの特許になるという状況は考えにくいのだが。

しかしこれはあくまで特許の話だ。DNA配列に著作権が生じることはあるだろうか?

そもそも著作権とは著作物を保護するための権利と言える。では著作物とは何かといえば、日本の著作権法によれば「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義され、平たくいえば小説や漫画、音楽、演劇、映画、絵画、プログラムなどがこれに含まれる(何事も例外はあるので細かいことは自分で調べてください)。従って最初のところで話題にした「ワクチンによって変化したDNA配列」は思想又は感情を創作的に表現したものとは言い難いためにどう転んでも著作物にはなり得ず、そこに著作権は生じえない訳である。

若干脇道に逸れるが、著作権は"人が"創作したものにしか生じないと考えられる。なぜかと言えばアメリカで実際にそれが争点になった裁判があって、その判例で人以外の動物には著作権が生じないと示されたためである。これはサルの自撮り訴訟という有名な裁判で、カメラを森に設置してサルが半ば偶然に撮影した写真に自らの著作権を主張したフォトグラファーが、人以外の動物に著作権が生じないと主張しサルの自撮りをパブリックドメインとして公開したウィキメディア財団などと争ったもの。詳しい経緯はWikipediaにある。

サルの自撮り - Wikipedia

日本国内では著作権法には明示されていないし、そういう事例があるかわからないが、おそらく同じ見解が示されるのではないだろうか。

さて、話をDNA配列と著作権の関係に戻す。この話題を考えたときに真っ先に頭に浮かんだのが次の論文だ。

CRISPR–Cas encoding of a digital movie into the genomes of a population of living bacteria | Nature

この論文は何をした論文かというと、一言で言えばCRISPRをUSBメモリみたいな情報記録媒体として使うというクレイジー(褒め言葉)なことをやった論文である。まず彼らは静止画のピクセルについて、そのピクセルの位置と輝度をバイナリに置き換えた。それをさらに塩基配列に置き換えると、あるピクセルの位置データと輝度データが1つのスペーサーに記録される。これを全てのピクセルについて行い、各ピクセルのデータをエンコードした合成DNAを用意する。これをCas1-Cas2を持った大腸菌にぶち込むとランダムにいずれかのピクセルの情報を取り込むので、大腸菌の集合体全体で画像データの情報を記録できる。逆に今度はCRISPR座位のDNA配列を片っ端から読むことで、DNA配列のデータから元の画像データをデコードすることができる訳だ。もう少し工夫するとさらに動画も記録できるので、筆者らは映画の元祖とも言うべき馬の走る連続写真をウィキメディア・コモンズから引用して大腸菌に記録させている。

File:Muybridge race horse animated 184px.gif - Wikimedia Commons

さて、ここで記録されたデータはとっくに著作権が切れた、というか著作権という概念があったかなかったか怪しい時代のデータであるため、当然にして著作権は存在しない。しかしである。この大腸菌に保存された動画はなんでもよかった。著作権を有するコンテンツが大腸菌などのCRISPRのDNA配列に保存される可能性も、もはやあると言っても過言ではない訳だ。この手の大腸菌のゲノムDNAを記録媒体にしたり、プログラミングに使ったりする研究が数多く進められている中、DNA配列が著作物を記録する時代も近い、のかもしれない…